6月29日  聖ペトロと聖パウロ

聖ペトロと聖パウロ   主よ、だれのもとに行きましょう

(ジョン・ヘンリー・ニューマンの説教)

罪びとから聖人をつくるために神が予告された方法は、これです。神は、罪びとをあるがままに捉え、その自我を方向転換させられます。彼の愛情を新しい目的に向けさせ、天的な愛を注いで肉的な愛の火を消してしまわれるのです。神は罪びとを、本能に働かされ、外的刺激に左右される、自由意志のない非理性的彼造物として扱ったり、強弱の差こそあれ、どんな快楽でも同様に受けとめる者とみなしたりはされません。神の恵みの勝利は、人間の心の内面に入り、納得させ、その心を変容させて、ご自分のものとされることにあります。神は、最初に人間に与えられた精神構造を全面的に尊重されます。人間を人として扱い、人間にみずからの行動方法を選ぶ自由を残し、人間のすべての能力と機能・理性・倫理感覚・良心に訴えられます。
また人間に恐れとともに愛を目ざめさせられ、神のあわれみと同様、罪のもたらす害を悟らされます。しかし最後には、新しい命を生み支える生命の原動力が愛の炎であることを教えられるのです。
弟子たちが舟にいて、主が岸辺から彼らに話しかけられたとき、「弟子たちは、それがイエズスだとはわからなかった」のです。そのあと、「イエズスの愛されたあの弟子がペトロに『主だ』と言いました」。なぜなら、「心の清い人は神を見る」からです。すると、とたんにシモン・ペトロは愛のすばやさで、少しでも早く主のもとに行こうとして、「上着をまとうと、湖に飛び込みました」。ヨハネは見、ペトロは行動します。
ペトロの心はキリストの現存だけで燃え上がり、それ行け、と主のもとに馳せ参じます。これ以前にも、主が水の上を歩いて来られるのを見たとき、ペトロが、まず、第一にとった行動は、舟を放って置いて、大急ぎでキリストのところに行くことでした。「主よ、ほんとうにあなたでしたら、『水の上を歩いてこい』と私に命じてください」。さらに、ペトロがあの大きな罪を犯したとき、イエズスのもとに戻っていくのに、イエズスのまなざしだけで十分でした。「主はふり返ってペトロをごらんになった。ペトロは主の言われたことを思い出し、外に出て激しく泣いた」とあります。別の機会には、多くの弟子が去っていったとき、イエズスは十二人に向かい、「あなたたちも離れるつもりか」とお尋ねになりました。するとペトロは、「主よ、私たちはだれのもとに行きましょう。あなたは永遠の命のことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の子キリストであることを信じ、また知っています」と答えました。

祈願
主よ、聖ペトロ、聖パウロ両使徒の祈りによって
私たちが助けられますように。
両便徒に与えられた恵みは教会の基礎を固めました。
両使徒の取り次ぎによって、
救いに必要な助けを私たちにお与えください。