4月29日  シエナの聖カタリナ

エナの聖カタリナ  《聖霊の賜物は共同善のために各人に与えられる》

ウルバヌスⅥ世教皇への手紙(シエナのカテリナ)

甘美なるイエズス・キリストのうちに、いとも聖にして優しい教父様、私こと、イエズス・キリストのしもべたちの卑しいはしため、カタリナは、聖下が正統かつ、まことの牧者、ならびに、羊たちのかしらであられることを希望しつつ、お便りを差し上げます。
いとも聖なる教父様、聖なる教会という園に牧者たちをお置きになりますときは、名誉を求める人ではなく、神を探し求める人を起用してくださいますように。彼らがその任に就くのにとられる道は、真理であって偽りではありませんように。
いとも聖なる教父様、このようなことを進言いたす者がございましても、なにとぞご容赦なさってくださいませ。それは、父親を愛する息子が当然いたしますように、ひとえに神の誉れとあなた様の救いのためにのみ申し上げるからでございます。父が人から不正や侮辱を受けるのは、子どもにとって堪えがたいものでございます。そのようなことを子どもは絶えず警戒いたします。大家族を治める家父長でも、一人の人間としてしか見ることができないことを子どもは知っているからでございます。もし、実子たちが父の名誉や利益となることを見守らないとしましたなら、父親はしばしば人からだまされてしまうことでしょう。聖なる教父様についても同様に申せるかと存じます。
聖下は全キリスト者の父上かつ首長であられ、私ども一同は聖下の傘下におります。あなた様の権威はすべてに及びます。とはいえ、ご見識には、他の人間と同様、限りがございます。そのためにこそ、聖下の子らが、卑屈な恐れなどいささかもなく、誠実な心で、神とあなた様との誉れのため、また聖下の司牧される羊たちの救いのために有益なことを、ことごとく見極めて行なう必要があるわけでございます。
聖下がご自分に奉仕できるような補佐役を持ちたいと熱烈にお望になることを存じておりますが、そのためには忍耐深く彼らの意見をお聴きにならなければなりません。
私たちのうちに権威の一端を担わない者がいるだろうか。一介の第三会員が教皇に書き送ったこの大胆な文章(1378年7月付)は、教会における全成員の責任性の意味について、私たちに自問させるのではないだろうか。

祈願
主よ、あなたは聖カタリナを主の愛で燃やしてくださいました。私たちも一人一人、それぞれの場において、あなたの恵みをいただき、熱心と忠実を もって教会に奉仕することができますように。