1月31日  聖ヨハネ・ボスコ

キリストのような教育者  (ドン・ボスコの手紙)
何よりもまず、少年たちのまことの幸福を心にかけ、彼らが人格的な責任を十全に果たすのに適した者となるよう力を尽くしているのなら、あなだがたは、私たちに託された少年たちの、いわば両親であるということを、決して忘れてはなりません。この子らのために、私は――いや、私一個人のみならず、サレジオ会の全員が――絶えず愛情を傾けて働き、労苦をささげ、自分の司祭としての任務を果たしてきました。私は長い人生で、このことがどんなに重大であるかを納得する機会にたびたび恵まれました。怒るのは耐え忍ぶよりもたやすく、子どもをおどすのは説得するよりもやさしいことです。私たちの不忍耐や傲慢は、強情な子どもたちを断固として矯正したり、柔和に赦したりするときよりも、その子らを罰するときに、もっと悦に入る、とさえ言えます。けれども、私がみなさんに勧めるのは、回心してまもない人に対するパウロの愛です。パウロは、相手があまりに素直でなかったり彼の愛に対して鈍感であったりするのを見て、涙ながらに懇願するほどでした。
衝動的に振る舞わないよう注意してください。罰するときに、むらのない気分でいるのはむずかしいことです。が、私たちが自分の権威を誇示するだめとか憤慨にかられたために振る舞っているのだと思われないよう、心の平静・むらのなさを保つ必要があります。私たちに訓育の権限を任された息子として子どもたちを眺めましょう。まさしくイエズスのように、彼らのしもべとなりましょう。主は、命令するだめではなく、従うだめに来られました。イエズスと同様の治め方をするのを恥とせず、子どもたちにいっそうよく奉仕するためにだけ支配権を行使するようにしましょう。
イエズスが無知で粗野な使徒たちになさったのは、まさにこのとおりでした。そのうえイエズスは、使徒たちがあまり忠実でなかったときも彼らを忍び、また罪びとたちに対していつくしみと親しい友情を示されました。それで、ある人々は驚きあきれ、他の人々はつまずくほどでした。しかし他の人々は、ついに神の赦しを希望することになりました。それゆえイエズスは、心の柔和・謙遜な者であるよう、私たちに命じられたのです。

祈願
神よ、あなたは聖ヨハネ・ボスコを選び、
青少年の父、また教育者となさいました。
あなたに仕え、兄弟姉妹の救いのために尽くすことができるよう、
私たちをも同じ愛で燃やしてください。