2月 2日  主の奉献

聖別されたおとめマリアよ、
御子をおささげください。  (クレルボーのベルナール)

聖別されたおとめよ、ご胎内の祝された実りである御子を主におささげください。
私たちの和解のために、神に喜ばれる尊いいけにえを、おささげください。
神は、この新しい奉献を全面的に受け入れられるでしょう。この、こよなく尊いいけにえについて神は、「これはわが愛する子、わが心にかなう者」と仰せになります。
しかし兄弟のみなさん、この奉献はとても甘美なものに見えます。これは主にのみささげられたものであり、鳩によって買い戻され、すぐに引き取られます。
いずれは、この御子が神殿においてではなく、シメオンの腕のなかでもなく、街の外で、十字架の腕木にかかってささげられる日が来るでしょう。
いずれ、いけにえの血によってではなく、ご自分の血によって人々をあがなう日が来るでしょう。神がご自分の民をあがなうために御子を遣わされだのですから。
そのときは夕べの供えものとなり、この神殿の朝の供えものです。後者は、よりいっそう喜ばしいものですが、前者は、さらに完全なものどなるでしょう。後者はご誕生のときの奉献であり、前者は時が満ちたときの奉献だからです。
しかし、「彼は、みずから望まれたゆえに、身をささげられた」という預言者のことばは、両者に当てはまります。じつに、イエズスが神殿で奉献されたのは、その必要があったからではなく、律法に服すべきかただからでもなく、ご自分が望まれたからです。そして十字架上でも、イエズスが自己を奉献されたのは、その必要があったからではなく、ユダヤ人が王に対して権限があっだからでもなく、ご自分から望まれたからなのです。
主よ、あなだが私の有用性のためではなく、私の救いのために、自発的にご自分を奉献なさいましだから、私も自発的に、主に一つのいけにえをおささげいたします。
けれども兄弟のみなさん。主に何をおささげし、主からいただいだすべての恵みに対して、何をもってご恩返しをしたらよいのでしょうか。主は、ご自身の持っておられた最も貴重なもの、この上なく尊いものを、私たちのだめに奉献されました。
それなら私たちも、できる限りのことを行ない、私たちの持ちうる最良のものを、つまり私たちの存在そのものを主に奉献しましょう。
主がご自身を奉献されたのに、自己奉献をためらうとは、あなたは何という人でしょう。
主ほどに偉大なおかたが、私ごとき者の奉献を受け入れてくださるとは!
主よ、私には主におささげするのに、二つの小さなものしかありません。自分の体と魂です。この二つを賛美のいけにえとして、ささげ尽くすことができますように。
私にとって主に奉献されることは、自分自身に任せられたままでいるよりも良いことであり、はるかに光栄なことであり、一段と有益なことです。というのも、私の魂は自我のうちにあるとき乱れ騒いでいますが、私の精神は、真実にあなたに奉献されるとき、あなたのうちで喜びに躍るからです。

祈願
全能永遠の神よ、この貧しい祈りをおささげします。
御独り子は人となられ、きょう神殿でささげられました。
私たちも罪から清められ、
みずからをあなたに奉献することができますように。