1月25日  聖パウロの回心

(クレルボーのベルナールの説教)  親愛なる兄弟のみなさん、きょう、諸国民の博士の回心がすべての国々で喜びのうちに祝われることは、まことに結構なことです。回心したパウロは、全世界にとって回心の使者となりました。彼は生存中、多くの人を回心させました。そして今は、もう肉体では存在していませんが、なお宣教の役務をもって、絶えず人々を主へと回心させつづけています。パウロは今や主のかたわらにあって、終わりのない喜びを主のうちで味わいながら、みずからの模範と祈りと教えとによって、いつも人々の回心のために働いています。このパウロの回心が熱心に記念されるのは、記念する人々にとって有益だからです。この記念において、罪びとは赦しの希望を抱き、償いへと促されていき、また償いを果たした人は、完全な回心の深みを見いだします。
主の弟子たちに対して脅迫と殺害しか熱望していなかったパウロが選びの器とされたことを思い見るとき、どんなに自分の犯した過ちが大きくても、だれが失望するでしょうか。
パウロのこのただ一回の回心において、あわれみの偉大さ、恵みの効力が見事に現われました。「突然、天からの光が輝き、彼を包んだ。……そのとき声が聞こえた。」とルカは言っています。じつにそれは、ヨルダン川で主の頭上に鳩のかたちが現われ、声がしたときと同様でした。また、主が山上で弟子たちの前で変容されたときも、このように光が輝き、御父の声が聞こえたのでした。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」。サウロは答えます。「主よ、あなたはどなたですか」。サウロは、〈自分が迫害しているかたを知らなかったからです。〉彼は何をしているのかを知らなかったために、あわれみを受けました。そこで主は、「わたしは、おまえが迫害しているナザレのイエズスである」と彼に仰せになります。わたしは、おまえが迫害しながら探している救い主、おまえが読む律法で預言されている者だ。「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」という預言が成就したことを、おまえは知らない。
「主よ、私がどうすることをお望みですか」。兄弟よ、これこそ完全な回心の模範です。「私は心構えができています。神よ、私は心の準備が整っています」。私は少しもためらわずに、あなたの掟を守る覚悟をしています。「主よ、私がどうすることをお望みですか」。まことにこれは、簡潔でありながら充実し、生き生きとして効果的なことばであり、絶対的な信仰心にふさわしいことばです。これほどの従順を見いだすことは、まことにまれなことです。

祈願
神よ、あなたは使徒パウロの宣教によって全世界に信仰を伝えてくださいました。
きょう聖パウロの回心を祝う私たちが聖人にならって回心の道を歩み、
主の福音を世界に証しすることができますように。