3月25日 神のお告げ

神のお告げ 《私はみ旨を行なうために来た》

新しい人、キリスト (第二バチカン公会議『現代世界憲章』)
実際、人間の神秘は、受肉したみことばの神秘においてでなければ、ほんとうに明らかにはならない。事実、最初の人間アダムは、未来の人間、すなわち主キリストの予型であった。最後のアダムであるキリストは、父とその愛との神秘を啓示することによって、人間を人間自身に完全に示し、人間の貴重な召命を明らかにされる。したがって、前述の諸真理がキリストのうちにその根源を見いだし、頂点に達することは、少しも不思議ではない。
「見えない神の像」であるかた自身は完全な人間であり、最初の罪以来ゆがめられていた神の似姿をアダムの子らに回復された。人間性は、キリストのなかに取り上げられたのであって、消滅したのではないから、このこと自体によって、私たちにおいても人間性は崇高な品位にまで高められたのである。事実、神の御子は受肉によって、ある意味で自分自身をすべての人間と一致させられた。キリストは人間の手をもって働き、人間の知性をもって考え、人間の意志をもって行動し、人間の心をもって愛された。彼は、おとめマリアから生まれ、真実に私たちの一人となり、罪を除いては、すべて私たちと同じであられた。
汚れない小羊であるキリストは、みずからすすんで血を流すことによって、私たちのために生命を獲得された。キリストにおいて、神は私たちをご自分と和解させ、また私たちの間に和解をもたらし、悪霊と罪との奴隷状態から私たちを救い出された。その結果、私たちは一人一人、神の御子は「私を愛し、私のためにご自分を渡された」と使徒とともに言うことができる。キリストは私たちのために苦しみを受けることによって、私たちがその跡を踏むよう模範を示されたばかりでなく、新しい道を開かれた。私たちがこの道に従うならば、生と死は聖化され、新しい意味を持つものとなる。

祈願
主よ、私たちの心に、まことの信仰を強めてください。
おとめマリアの御子が人となられた神であることを
信じる私たちも、その復活の力によって救われ、
永遠の喜びに達することができますように。