6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生

洗礼者聖ヨハネの誕生    神の証しびと

(トマス・アクイナス)

証しするためには適性がなければなりません。証しびとが無能であれば、どのような方法で遣わされても、その証しは不十分でしょう。ところで、ある人をこのような使命を果たしうる者とするのは、神の恵みです。「私が今日の私であるのは神の恵みによる」と聖パウロは言っています。
「私たちを新約の奉仕者にしてくださったのは主です」。ですから、福音記者が先駆者の名前によってその能力を示唆しているのは適切なことです。「その名はヨハネ」と言うのは、彼には恵みがあった、という意味です。この名前は気軽につけられたものではなく。誕生以前から神の命今によって定められていたものです。「その名をヨハネとつけなさい」と天使はザカリアに言いました。ヨハネ自身も、「主は私を母の胎内から召された」というイザヤの言葉を自分に当てはめることができます。
すべての彼造物は、いわば神の善さの証しですから、万物は神の証しを立てるために造られています。創造の偉大さは神の全能と力をそれなりに証しし、創造の美は神の知恵を証ししています。ある人々は神から特別の使命を受けています。彼らは、存在しているという事実によって自然的に神を証しするだけでなく、さらに、みずから善業によって霊的にも神を証ししています。聖人はみな、神の証しびとです。なぜなら彼らの善業は、キリストの勧めに従って、人々の前で神に栄光を帰すからです。「あなたがたの光を人々の前で輝かしなさい。あなたがたの善業を見て、人々が天におられる父をほめたたえるために」。けれども、神の賜物を受け、神の恵みによって善業を行なうだけで満足しない人々は、これらの賜物をことばや激励や勧告によって他の人に伝えるものであり、この人たちこそ、特別に神の証しびとです。ヨハネは、こうした証しびとの一人です。彼は、神の賜物を広め、神への賛美を告げるために来たのです。
ヨハネのこの使命、証しびとの役割は、たぐいなく偉大です。というのも、だれも、ある現実に参与する度合いに応じてしか、それを証しできないからです。イエズスは、「私たちは自分の知っていることを話し、見たことを証しする」と言っておられます。
神の真理を証しするということは、この真理を知っていることを前提とします。したがって、キリストもこの証しびとの役割を担っておられました。「わたしは真理を証しするためにこの世に来、この世に生まれた」。しかし、キリストとヨハネはこの役割を異なった方法で果たしていました。キリストは、この光をみずからのうちに有しておられた、というより、キリスト自身が光であられました。ところが、ヨハネはそれに参与していただけです。また、キリストは完全な証しをされ、真理を余すところなく表わされました。これに対し、ヨハネと他の聖人たちは、この真理を自分が受けた度合いに応じて証ししたにすぎません。
ここにヨハネの最高の使命があります。それは、神の光にあずかり、また、ご自分の使命を全うされたキリストに似た者となることでもありました。

祈願
全能の神よ、あなたの民が洗礼者聖ヨハネの呼びかけに
耳を傾け、救いの道を歩むようにさせてください。
聖人が告げた救い主、私たちの主イエズス・キリストに、
私たちも出会うことができますように。